2014年8月7日 DNA損傷プロセスにおける水と放射線の相乗効果を観測する技術開発に成功
DNA損傷プロセスにおける水と放射線の相乗効果を観測する技術開発に成功
国立大学法人欧洲杯线上买球_欧洲杯足球网-投注|官网大学院(学長 松永是 以下、「農工大」)工学研究院先端物理工学部門の鵜飼正敏教授と島田紘行助教は、独立行政法人日本原子力研究開発機構(理事長 松浦祥次郎 以下、「原子力機構」)先端基礎研究センター放射場生体分子科学研究グループの横谷明徳グループリーダーらとの共同チームにより、大型放射光施設(SPring-8)のX線を用いた研究において、生体内のDNAに対して水と放射線が相乗的に働いてDNA損傷の度合いを左右するような新しいプロセスを観測するための技術開発に成功しました。
この技術は放射線、特に癌の治療や植物の品種改良で使われているイオンビームなどが、生体中のDNA分子をどのように変化させていくかの機構解明につながり、放射線の医療や産業への応用に大きく貢献することが期待されます。
なお、本研究の一部は、日本学術振興会科研費(21241017,25241010)の助成を受けて行われました。
本研究成果は、米国物理学協会『Journal of Chemical Physics』(8月7日付:日本時間8月8日) 電子版に掲載されました。 論文名:“Nitrogen K-edge X-Ray Absorption Near Edge Structure (XANES) Spectra of Purine-containing Nucleotides in Aqueous Solution” (水溶液下のプリン含有ヌクレオチドについての窒素K殻吸収端近傍X線吸収スペクトル) 著者名:H. Shimada, T. Fukao, H. Minami, M. Ukai, K.Fujii, A. Yokoya, Y. Fukuda, and Y. Saitoh (島田紘行、深尾太志、南寛厳、鵜飼正敏、藤井健太郎、横谷明徳、福田義博、斎藤祐児) |
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現状:
放射線が照射された細胞中では、放射線がさまざまな大きさのエネルギーをDNA分子に与え、このエネルギーに応じ、多様な損傷プロセスが同時並行的に進行します。したがって、DNAに対する放射線損傷の道すじを明らかにするための手がかりとして、放射線によってどのような大きさのエネルギーが、分子内のどの原子に与えられるかを特定する必要があります。
研究体制:
農工大と原子力機構の共同チームでは、このような生命科学の対象に対して物理的なアプローチを試み、放射光という低エネルギーの放射線を利用し、また、細胞中と同様に、水と強く相互作用する環境にあるDNAを実験的に再現するための技術を開発して、DNA損傷プロセスの解明を目指した研究を行ってきました。
本研究にあたって共同チームでは、 SPring-8放射光の高い輝度の特性を生かし、エネルギー選別後にも十分な強度を持つミクロンサイズにまで絞られたX線ビームを開発してきたほか、液体分子線(図1)というわずか20ミクロンの太さの水鉄砲状の試料を用いることにより、真空中でも液体試料の状態を維持しつつ照射を可能する特殊な実験装置を開発しました。
研究成果:
DNA中の原子が放射線から吸収するエネルギーの大きさは、原子の種類や、分子内の結合位置によって異なるために、分子内の原子の位置を知らせる“標識”として用いることができます。そこで、放射光というX線領域の放射線のエネルギーを選別してDNAに吸収させることによって、あらかじめ、“標識”を知ることができれば、DNAの損傷プロセスの開始点を明らかにすることが可能と考えました。
このためのモデルとして、DNAの構成単位であるヌクレオチド
[注1]
という分子を選び、その窒素原子が吸収するエネルギーを“標識”として、本実験装置を用いてX線吸収エネルギーの測定を行いました。窒素原子はDNA中の核酸塩基と呼ばれる遺伝情報を担う部位にのみ存在するため、DNA損傷のうちでも核酸塩基の損傷の知見は重要だからです。
その結果、“標識”となる窒素原子には異なる二種類の吸収エネルギー(エネルギーを吸収する性質)があることがわかりました。一つは原子間で二重結合をもつ窒素原子によるものであり、もう一つは一重結合だけの窒素原子によるものです(図2の分子構造を参照)。これら二種類には容易に区別できるエネルギーを吸収する大きさの違いがありました。また、この“標識”の出現回数(窒素原子がX線エネルギーを吸収する確率)には、水溶液の酸性?中性?アルカリ性
[注2]
の条件に応じた増減があることを発見しました。酸性の水溶液では過剰に存在する水素原子イオンが二重結合の窒素(図2で7と印字)と結合して一重結合にし、また、アルカリ性の水溶液では過剰に存在する水酸化物イオンのために一重結合の窒素(図2で1と印字)に結合した水素原子が引き抜かれて窒素の結合を二重結合にします。このように、分子内の二種類の窒素原子の数が酸性、中性、アルカリ性の条件で異なり、その数に比例した“標識”の出現回数に違いが現れたことがわかりました。
以上のように、本装置を用いることにより放射線によってどのような大きさのエネルギーが、DNA中の窒素原子に与えられるかを“標識”となる吸収エネルギーの測定により特定することができました。
さらに本研究結果は、水と放射線が相乗的に働く新しいDNAの放射線損傷プロセスがあることも示しています。水素原子イオンや水酸化物イオンのような安定イオンは、細胞液(水)への放射線照射により大量に発生することが知られています。細胞内のpHは中性ですが、これらのイオンによりDNAの周囲は酸性あるいはアルカリ性となり、本研究で見られたようなイオンとDNAの反応によって“標識”も変わると考えられます。もし、連続して照射を受ける場合には、この“標識”の変化に応じてX線吸収の起こる窒素も変わり、その結果としてDNAの損傷部位も変わります。本研究は放射線照射により水から発生するイオンが、放射線と相乗的に働く新しいDNA損傷のプロセスがある可能性を示した初めての結果となりました。
今後の展開:
今回の結果は、放射線が生体に与える影響の原因となるDNA損傷の生成過程に関する重要な基礎的知見です。これにより、癌の放射線治療や植物の育種に用いられるイオンビームのような放射線が生体中でどのようにDNA分子を変化させていくか、DNA損傷の初期過程の研究が大きく進展することが期待されます。
図1 液体分子線試料
下向きの液体試料の細い”水鉄砲”のビーム。ノズルから吹き出た直後では、液体試料表面がきわめてなめらかで乱反射が起こらないため、ビームが見えない。そこでは表面積が小さいため、蒸発が抑えられ試料の凝固を防ぐことができる。
図2 水と放射線の相乗効果の模式図
水への放射線照射によって生じるイオン(水素原子イオン、水酸化物イオン)との反応によるDNAの分子変化と、DNA(核酸塩基)中の窒素原子による放射線エネルギーの吸収の相乗効果が本研究ではじめて観測された。
【用語解説】
注1)ヌクレオチド
リン酸、糖、核酸塩基の結合した分子をヌクレオチドといい、DNAの構造基本単位である。ヌクレオチドのリン酸と糖との結合が重合した長い鎖状の分子の二本が、核酸塩基の部分で結合して二重らせん構造をつくった高分子がDNAである。このようにしてできた核酸塩基の配列が生体の遺伝情報を担っている。
注2)酸性?中性?アルカリ性
水溶液中のマクロな水素イオン濃度を表す。水素イオン濃度が高い場合を酸性、低い場合をアルカリ性という。水素イオン濃度が低い場合は、水酸化物イオン(OHマイナスイオン)濃度が高い。中性では水素イオンと水酸化物イオンの濃度は同程度である。水素イオン濃度の対数にマイナス負号をつけたpH(ピーエイチ)という数値を用いて酸性?アルカリ性を定量的に表す。